Archive for 2018/04/25

長女、その後

科目登録が完了。

「数学の設問の意味がよくわからない(日本語の言い回しがピンとこないらしい)」とぼやいたり、「数Ⅲまで勉強しとけばよかった」と後悔しながらも、レベルが高い女友達に支えられ(家庭教師のように教えてもらいながら)受験期以上に勉強しています。

AO入試で学部長に顔と名前をばっちり覚えられ、学年代表に選ばれたり、毎晩友達と学校で自主勉したり、本当に満喫です。

 

「ママ、大学の講義ってさ、説明してくれるんだよ。」と自学自習で10年以上やってきた娘は軽くカルチャーショックを受けつつ、ホームスクールが終わって感じるホームスクールの良さとかいろいろ肌で体験しているようです。

 

ちなみに、今日は一限からなのに大寝坊し、最寄り駅まで送って行ってあげてしまった甘々な親です。

 

さよならフラッグ

長女のオフィスを片付けていました。ひっそり置いてあったフラッグ。何百回、何前回と上げてきたこのフラッグ。

 

もう、お役目を全うしました。

 

自分で飾り付けたフラッグ立て…。今となっては懐かしい思い出です。

 

 

さぁ、気を取り直して、長男、次女のための遠足準備、しなきゃっ!

イスラエル旅行記⑥ マサダと死海

3日間、エルサレム周辺で過ごした次の日は、クムラン、マサダ、死海方面へ南下しました。

クムランまでの道のりの途中、ベトシャンの人たちが羊を飼っている様子がバスから見えました。

彼らはパレスティナ地区の人々です。

エルサレムから少し下っただけで、このような砂漠地帯になります。ここはよきサマリヤ人のたとえ話の場所です。見渡す限り何もないような荒れ地です。こんなところで半殺しになったら、日中は暑いし、夜は寒いしで肉体的な辛さもありながら、見通しもよく、おそらく遠くから祭司やパリサイ人が歩いて来るのを遠目で確認できたと思います。きっと助けてくれると思った同志に裏切られる、遠くから見えるからこそ期待して裏切られる気持ち、実際にこの地に立つとそのような背景を読み取ることができます。

まだ朝の早い時間ですので、涼しいですが、この日はとても暑かった一日でした。

 

その後、さらに南下していきます。風景もこのように砂漠、赤茶けた色が一面の景色です。

 

バスの中でツアーガイドさんが話してくれたのですが、おそらくダビデが羊を飼っていただろう周辺の荒野の山は遠くから見ると縞模様のように見えます。

その縞々ひとつひとつが細い道になり、円状(らせん状)に山を取り巻いています。羊は山の上に向かって坂を上ることができないそうで(山羊はできますが…)、羊は草を求めながらぐるぐるとゆっくり道に沿ってらせん状に山を登るそうです。そしてこれがダビデが詩編23篇で歌っている「義の道に導く」ということなんだよと教えてくれました。

らせん状だからさっきの場所からほんのちょっとしか上ってないのに時間がかかるんです。でもそれが神様の方法なんだと思ったときに、神様の忍耐と愛と感じました。山羊のように登ったら羊は死んでしまうので、私も神様のタイミングで生きればいいのだとすごく感じました。

 

さぁ、だんだん荒野って感じがでてきました。ラクダもいます。

 

そしてクムランです。

↑ こちらはレプリカです。どのように死海文書の発見されたか展示されています。20世紀の最大の遺跡と呼ばれる死海文書。このようにツボの中に入っていたそうです。

 

当時、「光の子」として共同体生活をし、腐敗したエルサレムの指導者たちを「闇の子」と区別していたクムランの共同体の人々。独自のユニークな文化を持ち、律法を全うしたといわれています。本当かわかりませんが、バプテスマのヨハネももしかしたら関わっていたかもしれないとのことです。

↑ このような崖に洞穴があり、そこにツボに入れられた旧約聖書の巻物が隠されていました。

もと歴史学科の主人は大興奮の一日でした。

山がありながらも海抜が低い南の地域はエルサレムから流れる雨水を貯蓄する技術をもっていました。このような砂漠の山の上でも、生活ができたのですね。

一日に清めのお風呂に何回か入るクムランの人々のお風呂です。

伝統を固く守っていたのですね。

 

そして、その後、さらに南下してマサダへ。

ロープウェイにのって一気に頂上まで行きます。要塞です。

こちらはヘロデ大王が別荘のため、またエジプトやサウジ方面からの攻撃に備えるために作られた要塞です。

イスラエルでは、遺跡だった場所とその後新たに作られたところの区別がこのように黒い線で示されています。

こちらもレプリカですが、このように崖を利用したつくりになっており、たくさんの食料貯蔵庫があったそうです。ですから、AD70年のユダヤ人の反抗の時、ここで最後の最後まで抵抗したそうです。

当時、ローマ軍隊が基地を作った場所が遺跡として残されています。取り囲むようにローマ兵がいたことが上からみるとわかります。

 

結局、残されたユダヤ人は他殺形式の自殺行為をすることにより、ローマ兵に手を下される前に自分たちで命を絶ってしまいます。わずか、洞窟で2人の女性と子供たちだけが生き残り、どのようにユダヤ人が最後を遂げたのかを伝承したもようです。

 

 

その後、ロープウェイで降り、エンゲディに向かいました。

ちょっとしたオアシスになっています。シカのような生き物が木陰にいるのがわかるかな?

ここは、ダビデがサウル王から逃げた場所で、サウル王と洞穴でニアミスしたときに手をかけずに衣のすそを切ったというその場所です。

なぜ、洞穴に入ったのか、トイレだったのか?という説もありますが、ヘブル語ではトイレとは書いてなく、足を休めたという意味だそうで、足を洗ったりする中にトイレがあったのか、それとも昼寝だったのかもしれないそうです。

この日は気温が30度に迫る暑さで、子供たちはみな、滝の水で水浴びをして楽しんでいました。

 

ダビデの神様を恐れる思い、またダビデはエルサレムで王様になるまでに26年待たなければなりませんでした。その間、ダビデの品性が練られたこと、これは無意味ではないということをみなで語り合いました。この苦しい中でダビデは詩編を書き、神様への想いと信仰を深めたことを考えると、私の辛抱のなさを感じます。もし、ゴリアテを倒した後すぐにダビデが王様になっていたとして、ダビデが同じ成熟さを持っていたかということは疑問ですよね。

 

そして死海へ。

 

ちょっと浮いてきました。この死海で泥を体に塗って、それでみんなではしゃいだ時間は本当に童心に帰った楽しいひと時でした。

 

死海に入ると10年若返るというので、30代に戻ったかしら?

 

続く。

 

イスラエル旅行記⑤ エルサレム近郊

エルサレム3日目。どこにいてもミモザがとってもきれいなイスラエルでした。

 

この日の午前は二つの博物館をめぐりました。

1つは

こちら。第二神殿の模型がある博物館です。ここには死海文書についても勉強することができました。

 

第二神殿(バビロン捕囚から帰ってきてからの神殿)時代のエルサレムの城壁とその町が歴史的資料を参考に作られています。

神殿の入り口も出口と入り口の様子やユダヤ人だけしか入れない領域の区分されているところにいたってもよく作られていました。

 

室内の博物館に入ると、死海文書についての説明書きや建国70周年を祝っての特別展示もあり、初公開の創世記の書写をみることができました。

 

そして、少し移動したのちの、ホロコーストミュージーアム

こちらはユダヤ人目線でドイツがどれだけのことをしようとしたのかを展示してあります。

もちろん中は写真は不可ですが、なんといいますか、酷いという言葉も出ないほどの悲しみに包まれた時でした。

美術館を出た後の私たち。あまりの衝撃にみんな言葉を話したいとも思えない状況。

 

ユダヤ人というだけで、突然、おとなりさんが、お友達が敵となってしまう苦しみ。そして、ユダヤ人というだけで虫けら以下の扱いを受け、そして、解放されても帰る家もない。自分を秘密警察に密告した人とどうして一緒にまた生活できるでしょうか?

 

このようにユダヤ人は二重にも、三重にも自分たちのアイデンティティーを奪われ、自由を奪われてしまったのだということに言葉も出ない衝撃が走りました。

 

私はあまりにユダヤの国について知らなさすぎると思いました。

 

さて、あまりに暗くなってしまったので、ちょっと明るい話題。

ここにきてですが、イスラエルのランチ、すごく美味しかったです。

 

私はお腹の調子のこともあったので、なるべく食べ過ぎないように、野菜中心の生活をしていました。こちらはサラダ。

 

朝も夜もビュッフェですが、豆料理も多かったです。

 

午後はエラの谷に行きました。ダビデとゴリアテが戦った場所です。

川はありませんでしたが、みんなで小石を拾ってお土産にしました。

これは私がとった男性の写真の一部ですが、私たちの教会のダビデがこんなにもいると思うと、すごく感謝の気持ちが湧いてきたそんな一枚です。

 

そして、夕方にむけて、エマオの途上の道へ、

まぁ普通の道といったらそうなのですが、イスラエルの方はキャンプやバーベキューをしているようなとっても自然豊かな場所でした。

エルサレムまで11キロ。1日かけて歩いてきた弟子の二人は、イエス様と気づきません。ですが、パンを割いた時、おそらく手に釘の穴を見たでしょうか?はっとイエス様だと気づくのです。

そして、1日歩いた距離を今度は走って引き返します。彼らの心は喜びで高揚していたでしょう。早く、エルサレムの弟子に伝えたいと思ったでしょう。

そんなワクワク感、スリリング感が感じられる瞬間でした。私も、伝道する気持ちの時にことのワクワク感をずっと持っていたいと思いました。

 

 

というわけで、3日間のエルサレム周辺の旅は終わります。

 

次の日は砂漠方面です。また書きまーす

 

誕生日でした㊗

子供たちがデコレーションしてくれたケーキ。私が大好きなシュガーラッシュをイメージしてくれて作ってくれたそう。しかも、私に気づかれないように、私の友達のうちで! ←その裏話を聞いたら感動した😢でてきた。

 

ですので、

おいしくいただきました!

 

 

この日はお友達を招いてのBBQだったのですが、そこでいきなりのサプライズパーティーとなりました。

 

忘れられない誕生日になりそうです。

 

 

今年の目標は

1 富士山に登ってみたい

2 より謙遜に、自我に死ぬことを選んでゆく

3 さりげなく仕える

 

です。

 

最近はイスラエルが恋しくて、どうやったら来年もイスラエルに行けるのか考え中。

Science 1091 project

のんちゃん、ひさしぶりのプロジェクトでした。

 

等高線地図を描きます。もっと凝りたければ高さを出すような立体的な地図にしてもいいです。

 

のんちゃんとは、ユーチューブとかでどうやって書くのかを調べてみたり、あとどんな国だったら、楽に書けるのか?とか。

最初、海抜の高低差のない島にしようとしたのですが、あまりにつまらなくて、まよった結果、ハワイになりました。

 

プロジェクトも少なくなってくるので、楽しみながらやりたいですね。

エルサレム旅行記④ エルサレム(旧市街)

エルサレムでのツアー二日目の最初は『園の墓』から始まりました。

イギリスの宣教団体が管理しているこの場所は、エルサレムの中で(プロテスタント信仰の)福音が自由に語ることができる数少ない場所です。

お花畑のようなとてもきれいな公園を歩いている感じです。

最初にどくろの場所と呼ばれたゴルゴダの場所が見えるところへ案内されました。数年前に崖の石の劣化によって「鼻」の位置の石が欠けてしまったため、どくろに見にくくなってしまったのですが、くぼみを目とすると骸骨に見えます。

 

イエス様、こちらで十字架にかけられたかも?との説です。

 

そして、こちら、お墓です。

お墓の内部には、初代クリスチャンがよく使っていたサインのような記号のようなものがあり、そのことからも1世紀のクリスチャンのお墓か、もしくは地理的なことからもイエス様のお墓だったかもという説が濃厚なのだそうです。

 

イスラエルの城壁内には聖墳墓教会というもう一つのイエス様のお墓かもという場所があります。

 

ですが、大切なのは墓が空ということと、心で何を信じるのか?ということだと思います。

 

↑ このような標語があちこちに見えます。

園の墓の敷地内の建物の中で、聖餐式をしました。

イースターをまもなく迎えるそんな季節でしたし、先日にゲッセマネやカヤパの家などを見て、すごく霊的にも敏感だったと思うのですが、本当に復活されたイエス様のことを深く思うことができました。

 

園の墓は城壁の外側でしたので、いよいよ歩いて、城壁内へ入ります

 

こちら、ダマスコ門です。下の方に見えるもう一つの門、こちらが古い門です。なんども立てたり壊されたり、地層的にも現在は少し上がっているのですね。

 

そして、イスラム地区から入りました。

こちら、ビアドロローザ=イエス様が十字架を背負って最後歩かれた道かもというところです。

入ることができませんが、すごく厳重な警備のもと、イスラムのモスクがあります。このようなものを見ると、エルサレムには常に霊的な戦いがあるのだと感じます。

イスラム地区を歩くときは少し緊張感を覚えたのですが、イスラム地区内にもキリスト教系の遺跡や教会があり、ゲートがあって、少し雰囲気が変わります。ちょっと一安心する。

↑ こちらはベテスダの池です。この脇に階段があり、降りていくと水があります。38年間、この池の脇に座っていた男がイエス様に癒された場所です。

イスラム地区から一度、城壁外へ出てゆきます。こちらはイスラム系の人のお墓があります。そして向こうにはオリーブ山が。

こちら、金門(Golden Gate)です。

 

 

ぐるりと城壁の近くを回り、再び城壁内へ。嘆きの壁に行き、私も少し祈りました。

ランチの後、ユダヤ人地区へ。

大きなメノラーのある広場でイスラエルの歴史について教えてもらいます。まだ本格的なツアーが始まったばかりで今思い返すと、ユダヤ人がどれだけ誤解され続けてきたのかその思いの半分くらいしかわからなかったかもしれません。でも、本来はすべてユダヤ人のものだったにも関わらず、このように繰り返された戦争によって今のような状況になってしまったこと、ここが本当の意味でイスラエルになるにはイエス様の再臨の力なくしてはできないのだと痛感しました。

 

こちらはカルドと呼ばれる大路です。こちらはローマ帝国の遺跡で南北に道が通っています。ユダヤの歴史と文化では、方角はいつも東が中心だそうです。つまり今の私たちの方位磁石や地図の書き方は北が軸になっているのはユダヤの文化では違うということです。東が軸となって設計されているエルサレムの町なのに、そこに無理やり南北の軸のローマ文化が入ってきたことは、ユダヤの人たちにとっては屈辱的なものであるそうなのですね。また、ローマの大路は、道路、歩道、店舗としっかり区画がされており、ローマの当時の華々しさを感じるとともに、ローマはどこにいってもローマ式を通したという残忍さも感じさせる、意味深い場所にも思いました。

エルサレムの一番古い地図。

遺跡なんだけれど、ふつうに生活道路でもある不思議な場所、エルサレムです。

 

クリスチャン地区の近くに、新しい遺跡が出てきたとのことでこちら、ヒゼキヤ時代の内部の城壁だったと思われるとのことです。作業が続いているようでした。

 

午前中のようなピリピリした感じがない、クリスチャン地区です。

聖墳墓教会です。こちらもイエス様復活の場所ともいわれています。

4世紀ごろ(3世紀かも?)、ローマ帝国がキリスト教を国教としたときに、帝王のお母さんがイスラエルに旅に来たようで、その時にあちこちを訪問しては、現地の人に実際の場所を尋ねたそうです。こちらの教会のある場所もイエス様がよみがえった場所として教えられたとのことで、記念に教会がたったそうです。

 

聖墳墓教会内部は、多くの人が祈りをささげていました。

 

この日のスケジュールはここで終わりになりました。

 

 

たくさん歩いた日でした。

 

 

 

 

 

イスラエル旅行記③ エルサレム(最後の晩餐からカヤパの家まで)

全部で10日間のツアーの開始です。

エルサレムは3日間かけてめぐりました。そしてその初日は特にイエス様の地上での最後の1日をフォーカスした内容でした。

 

スコピス山より眺めるエルサレム。イエス様はベタニヤからエルサレムに入城なさったので、このあたりでおそらくキャンプしたりしたのだろうか?(過ぎ越しの祭りでエルサレムは人でごった返していたと思われるので)遠くに見えるエルサレムを見て、イエス様は何を考え、思ったのか、すごく感情が高ぶるそんな一日の始まりでした。

オリーブ山からみるエルサレムです。こちらには再臨のイエス様を思って、多くの信者のお墓があります。

そして、オリーブ山の裾にあるゲッセマネの園。ゲッセマネとはオリーブ搾油所という意味です。オリーブが油のためにプレスされるように、イエス様も悶えて祈られたほどにプレスされたのだと思うと、非常に苦しい気持ちになりました。裏切るユダを3年間愛し続けたイエス様。どんな牧会者もリーダーも自分を裏切るとわかっている人とともに生活を続けたいでしょうか?また神様から引き離されるという(神である方なのに)そんなひどい仕打ちを一手に引き受けてくださったイエス様の想い。ちょっと想像を超えるものがありました。

この場所は行って良かったと思えたいくつかの場所の一つです。

 

カヤパの家の跡地も行きました。

今では教会がたっています。

おそらくイエス様もこのような場所で拘束されたのではないでしょうか?

ペテロがイエス様を3回否定した像もありました。

こちら、カヤパの家からみたオリーブ山です。一日の間にここを往復されたイエスさま。その間、何を思ったのか、深く考えさせられました。

 

詩篇88篇をみなで朗読しました。イエス様の苦しみを想い、涙が止まらない瞬間でした。

 

そして最後は屋上の間(アッパールーム)です。時間系列的には前後しますが、最後の晩餐の場所です。こちらも、教会のようになっていて、当時のものはあまり残っていません。

 

こうしてイエス様の最後の一日を思うと、ベタニヤを出発して、オリーブ山を越えて、エルサレムへ入城。そして最後の晩餐ののち、オリーブ山まで引き帰し、ゲッセマネで夜通し祈り、とらえられ、またエルサレムの中のカヤパの家まで歩き、そこからおそらくポンテオピラトの要塞まで連れていかれ、鞭うたれ、十字架を背負いながらどくろと呼ばれるところまで(シオン山/エルサレム城壁外)までいって十字架にかけられたというなかなかの距離を移動されていることがわかり、本当にくたびれたのだろうなと思います。そんなことをする必要は全くない方なのに、私のために、そこまでされた。全世界のために。

 

ことばにつまる思いでした。

 

 

さらっと書いているようですが、非常に深い一日でした。

 

Lunch time

 

今月ののんちゃんとのランチアウトは彼女の希望でシェイクシャックに。

今年チャレンジしてみたいこととか、ラインスタンプのこととか、大切なことからくだらないことまで話しました。

イスラエル旅行記② テルアビブ→エルサレム

(テルアビブ郊外からのぞむ市内)

 

この日はスタディーツアーの初日の日。

一日の始まりが日没から始まるユダヤの人たちの習慣にならってか、夕食のみが予定の一日でした。

なので、迎えのバスが来るまでの時間、テルアビブで自由時間が与えられ、グループの数人と博物館へ行きました。

ユダヤ民族の歴史や生活などがよくわかる資料館で、8つのパビリオンからなっていました。

博物館はテルアビブ市の北側にあり、タクシーで移動しました。

新しい街並みとなっていて、南側のヨッパとは違う雰囲気でした。

 

こちら ↓ 博物館のお金の歴史について学ぶ資料館。

↑ こちら、1デナリ。聖書によく出てくるデナリ硬貨。

 

当たり前ですが、基本的に博物館内の表示はヘブル語とアラビア語、そこに英語となります。なので、ヘブル語、アラビア語がわかんない場合は英語、頑張ろう!

 

内部は写真が禁止なので、あまり写真がないのですが、とても興味深い博物館で、プライベートで行くのであれば、こちらの博物館はまた行ってみたいと思いました。

 

そして、博物館でぜひ見てもらいたいのは、お土産。

すこしお値段は高めかもしれませんが、それなりのものが欲しいのであれば間違いない品物に巡り合えます。イスラエルが2回目の方にローマガラスを教えていただいたのですが、博物館のお土産屋さんで素敵な品を購入できました。

ローマンガラスとはイスラエルが主な発掘場所の、ローマ時代のガラスです。つまり2000年前、イエス様の生きておられた時代のガラスを使ったアクセサリーなのです。アクアマリンのようにクリアーな水色なのです。とても気に入って、この後、同じようなものを探したのですが、クリアーな1枚ガラスのローマガラスのアクセサリーに出会えなかったのです。なので、「これは!」と思ったら運命と思って購入がよいと思います(笑)

 

博物館を後にして、いよいよツアーのためにエルサレムへ向かいます。

 

この日の昼ごはんはピザ。

 

そして、

コーヒーも。

 

 

とってもおいしいの。

 

イスラエルでは、食べ物で困ることがほとんどないのがいいところです。

 

 

次からいよいよバイブルスタディーツアーが開始!

もうちょっとまともなこと書きますね。