Archive for 2018/05/18

イスラエル旅行記⑩ レバノン国境、シリア国境、ピリポカイザリヤ地域

イスラエル旅行記シリーズ、10まで来ました。

 

「もう一息だぞ!頑張って書き切ろう!」という前向きな思いと、「書き終わったらイスラエル旅行が本当に終わってしまうよ〜😢」という寂しさが入り混じっています。

この日はガリラヤ湖からさらに北方面にバスで移動しました。

レバノンとの国境まで来ました。

国境っていうから、フェンスがあったり、役所的な機関や建物があるのかと思っていたのですが、

案外、ざっくりな感じで「あのトラックが通っている道はレバノンです」みたいな。

この日は晴れていたのですが、遠くの村をよくよく見ると、レバノンの国旗が立っていました。

またまた昔の話ですが、2002年に韓国と北朝鮮の国境付近を訪問した機会があったのですが、その時はそこいら中、「地雷、危険」って書いてあったのね。こう、危険感が空気にこもっていて、ピリピリしていました。一髪触発の緊張感があったのよ。

 

なので、こちらの国境線はそういう感じではなくて、ちょっと拍子抜けというか、なんというか。

 

うん、ゆる〜いね。

 

 

こちらでも、イスラエルの地図を使って、イスラエルの歴史について教えてもらいました。

 

ここ数日、アメリカ大使館がエルサレムに移ったことの反対デモやガザ地区に置けるパレスチナ問題が盛んにニュースになっていますね。イスラエル旅行がなければ、「あ、そう。」とか「アメリカ、何やってんの?」くらいにしか感じなかったかもしれません。(今は、違います。)

 

ここではざっくりと話すのですが、パレスチナという言葉というのは、ユダヤ人の彼らにとっては突然降って湧いてきた言葉な感じに聞こえるそうです。歴史的に遡り、紐解いていっても、ユダという地区については、=ユダヤ人の地域としての認識があり、頭の中で地域と民族が繋がる言葉なのですが、対してパレスチナということばはローマ帝国の作った言葉であって、ペリシテが語源となっています。ペリシテは地域の名前であり、人種的にはギリシャ人が祖先です。つまり、アラブでも、ユダヤでもないのだそうです。

19世紀までは、国というメンタリティーもなく、構想的はユダヤVSアラブって感じで、ユダヤ民族、アラブ民族の誇りはあるけれど、パレスティナ人の誇りとかそういうものはなかったそうなんですね。

しかし、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、ベトウィン(アラブ)を守るためにレバノン、イラク、ヨルダンと国々が次々に作られてしまい、国連の仲介はあるものの、いろいろユダヤ人としては我慢しなければならないことになっていると…。

 

これ以上は、ガイドさんの個人的な意見とか、ここに書くと政治的な話になりすぎてしまうので、やめておきますが、ニュースだけでは分からない、国内の生きている人間の意見にも耳を傾けることはとても大切だと思います。

 

ユダヤ人として残念で祈っているのは、レバノンはクリスチャンの国だったのに、そこから変わってしまったことだそうです。ニュースの報道では、イスラエルが攻撃すると、赤ん坊や病院を攻撃したと批判されるそうですが、それはアラブ人の戦略で、彼らは人間を盾にする戦略なのだそうです。わざと武器庫を学校や病院に作るそうなのです。

 

本当にイエス様の介入がないといけないですね。そしてユダヤ人の神への立ち返りを心から祈ります。

 

ツアーのみんなで祈る時間を持ち、そこから、テル・ダンへ

この日も暑ぅぅい1日でした。(注 3月下旬です)

水が綺麗な場所です。ヘルモン山からの雪解け水が、石灰石・玄武岩のフィルターを通して濾過され、イスラエルの飲み水となっているそうです。こちら、この水がガリラヤ湖へ流れます。

ダンは王国分裂後、ヤロブアムによって王国の中心となった場所です。

残念なことにこちらで偶像礼拝を献げ、イスラエル王国は衰退してしまします。

この大きな木は、イスラエルの歴史をたくさんみて来たのでしょうね。

イスラエルは神様に選ばれた民族であるにも関わらず、自ら神を捨てました。私も、今、クリスチャンとして接ぎ木されているものですが、イスラエルさえ切り捨てた神様は、私なんぞいとも簡単に折ってしまうことなど可能です。ですが、神様はそれでも見捨てずにいてくださる。なんと、神様の愛は深いのでしょうか?

イスラエルの失敗の歴史から、主権とは何か?自分は何者なのか?がますますクローズアップされるような気持ちになります。

 

そして、ダンといえばアブラハムがロトの敵を追って来た場所でもあります。

こちら、まさにアブラハムの時代の遺跡だそうです。

石でできているからでしょうか?未だに残っています。

やはり、歴史大好き人間である主人は、紀元前4000年の遺跡とあっては写真をとらずにはいられません。

 

アブラハム時代にタイムスリップできるなんて、感動でしかないです。

 

そして、こちらも、古代の門。

ガイドさんか、イスラエル文化にとって門の大切さを語ってくれました。

門は交流場所、情報をもらう場所、とっても重要な場所でした。それぞれの街で何が起こっているのか、他の場所で何が起こっているのか、知ることができるのが門でした。ダビデも戦場の勝敗の知らせを門で待ってましたし、ルツとボアズの結婚の儀式も門でしたね。

 

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そして、またそんなに遠くなところのピリポ・カイザリアへ。

 

ピリポカイザリアはイエス様が公生涯の最後の方で伝道していた場所でもあります。エルサレムやガリラヤ湖周辺では、イエス様を捕らえたい雰囲気が高まる中で、こちらの方で弟子たちと最後の時間を過ごしたのでは?と推測されます。

ピリポカイザリアは自然も豊かでのんびりとした田舎な感じです。と同時にローマの戦略的都市でもあった(他国との貿易などにおいて)ので、人も多くいたそうです。イエス様がそのような中で神様の思いを伝え、弟子訓練されたのだなと思うと親近感が湧きます。

写真の裏側にはハデスの門と呼ばれる遺跡があります。

マタイ16:18-19
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。

イエス様は、この直前に、こちらで、ペテロと大切な会話をしますね。

マタイ16:13-16
さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

この時のペテロは大胆な信仰告白に至りました。この後、ペテロは失敗してしまいますが、でも、ここでのイエス様の会話は、ペテロには忘れられないものだったと思います。まさにあれは聖霊が話させてくれたものだとのちにはっきりしたことでしょうね。

 

イエス様は、みんな裏切るとわかっていて、それでも、ペテロを励まし、育てることを諦めませんでした。イエス様、愛が深すぎです。

 

その後、少し山の方へバスで移動、変貌山付近の場所です。

イエス様は、ここに特別な3人の弟子だけを連れてきました。たしかにここは山深く、静かな場所です。

イエス様は人がたくさんいるところ、異邦人がいるところ、構わずに出かけましたが、ひっそりと静まることもされました。

イエス様はピリポカイザリやに入って1週間ほどでこちらを訪れたとされています。十字架にかけられることを知っていたイエス様はモーセ(=100万人の人と40年も荒野で生活しなければならなかったリーダーで約束の地を前にして死んでしまった)やエリヤから励ましを受けたのでしょうか?人として助けや励ましを求めるイエス様の姿に謙遜を感じます。

こちら、十字軍から守るためのアラブ系の要塞。誰がどのようにということは忘れてしまったのですが、9世紀ごろから残されているそうです。

断崖絶壁にたてられた要塞。

よく、私たちもエリヤハウスなんかで「心の要塞」なんて心の状態を表現しますね。実際に要塞をに入り、その入り組んだ構造をみて、姉妹たちと「実際にこうやって見ると、要塞って崩すのに時間がかかりそうね。」「イエス様も私たちの心の要塞を神様のパーフェクトなタイミングで崩してくれるんだね」と話をしながら後にしました。

そんな要塞の中での写真をパチリ。

 

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そしてこの日の最後は、シリアとの国境まで行きました。ゴラン高原です。

ここは 涙の谷 (Tear of Valley)と呼ばれている場所です。

 

この日は過越の祭りの休暇が始まっており、学校がおやすみとのことで子供達や家族づれがたくさんいました。

 

こちらでは、1973年の6日間戦争について話を聞きました。実際、こちらはその時の戦場で、戦死者を記念しての公園となっていました。

子供達が戦車で遊んでいますが、これも、大切な教材だそうです。

 

 

この6日間戦争はまさかの不意打ちの戦争で、シリアとエジプトによる突然の攻撃だったそうです。結果的には勝利をおさめ、国土も守られたのですが、非常にショッキングな出来事で、彼らに与えられたインパクトが強かったそうです。

 

安息日にガイドしてくださったアリエ先生も戦争には参戦したそうです。

 

その時ガイドしてくださったツリエル先生は、私たちが高慢になって神をないがしろにしたので、このように打撃を受けたのだと懇々と話してくださいました。

 

今の時代、色々ハイテクで、私たちが知れる情報も多くなってきている時代において、神様なんか忘れがちですが、そのような人間的な戦略の背後に神様がおられることを語ってくださったツリエルさんだったのでした。

今、個人的には歴代誌を読んでいます。そして「ここに書かれていることを、昔話と思わずに現代に置き換えて考えることのできる信仰を私にもください」といつも祈っています。

イスラエルに行くと、現実のことと聖書に書かれていることを一つにして捉えることができるのが、不思議です。

 

イスラエルマジックですね。

 

 

ちなみに、この場所、日本の外務省のホームページでは行かないようにと書かれているらしい(笑)です。