English 1092 は捨てないでね。

WEEK6に突入した我が家です。

 

さて、先日、English1092のペーステストを採点してましたら、

PACE TEST KEYの最後に1096のペースで1092のペースを使うとひっそり書いてありました。

 

うぉっと、うっかりどっかにやってしまうとあとで面倒なことになると、その文章を見つけた自分に、「グッジョブ!」と軽く励ましを入れ、1096のペースに挟んでおきました。

 

 

 

ペースの管理は我が家ではこんな風にやっています。

1 まずACEからペースのセットが送られて来たら、まず、全ての科目のペーステストを切り離します。

2 それをクリアファイルに入れて、子供達それぞれのペースを入れる箱に入れます。

3 ペースは科目ごとに並べ、そこからさらに番号順に並べます。

例えば、1085〜1096までなら、MA, EN, WB, SS, SC, CWの1085だけ、次に1086だけと集めて、それを1096までやります。

4 あとはペースを入れる箱にそれぞれ番号の遅い順に入れます。つまり、1096から遡って入れて行くと最後、一番若い番号になるわけです。そうすると上から取り出せばいいだけなので、あとが楽チンになります。

5 ギャップペースだけは箱の隙間に分けて管理する時もあります。

 

 

今回、1092が終わって、1096で使うというので、1096のある場所まで1092のペースをもう一度しまっておきました。

 

といってもこの1096のペースをするのはおそらく7月ごろ、その頃には本日のことなんかすっかり忘れ、「なんで1092ペースが?」となりそうだったので、付箋も貼っつけておきました。

 

あぁ、ほんと、忘れっぽいんだよね。40代の限界か?

ゴールデンウィーク

ゴールデンウィーク、おわっちゃいましたね。

特にこれといってお祭り気分ではなかった我が家ですが、こどもの日は毎年子供達にプレゼントをしておりまして、今年は家族で映画となりました。

 

 

そして、長女の誕生日ケーキも家族で食べました。

長女の誕生日は1ヶ月半も前で、当日はイスラエル旅行中だったのです。帰国後「ママのケーキで祝ってもらいたい」とのなんとも嬉しいリクエストをもらっていたのですが、タイミングが合わず、やっとこみんなでお祝いできました。

フルーツたっぷりケーキにしてほしいとのリクエストだったので、これでもかっ!って量のクリームとフルーツです。

 

 

おまけ:ゴールデンウィークのとある日、娘の大学のお友達が我が家に遊びに来てくれて、BBQしました。

息子の友達も集まり、庭で大盛り上がりのゆうべでした。

 

イスラエル旅行記⑦  Shabbat Sharom

イスラエルで安息日を過ごしました。いよいよ過越しのシーズンを間近にイスラエルは学校が休みになったりしていたようです。

 

私たちの宿泊していたヤドハシュモナという場所はキブツと呼ばれる共同体の村でした。イスラエルで唯一の「クリスチャンのキブツ」だそうです。そちらに住んでおられる方と一緒に安息日の礼拝を守りました。

この日はヨハネの福音書からのメッセージでした。

メインの言葉はヘブル語、そして同時通訳の英語がありました。

おそらくですが、100名〜150名くらいは入れる会堂と思われます。

 

そして、昼ご飯の後にホテル内のBiblical Gardenと呼ばれる、聖書の中に描かれている建物や文化について学んだり、ユダヤの歴史について学ぶ時間がありました。これもツアーの一部です。

 

この日はイスラエルに来て初めて雨が降った日で、とても寒かったのですが、雨は霧雨のようで、とても柔らかい雨を体験しました。

古い子供の賛美

Mercy is falling, is falling, is falling. Mercy it falls like the sweet spring rain
Mercy is falling, is falling all over me

を思い出しました。本当にしっとりとした、優しい雨でした。神様の憐れみはこのようなのだと感じることができました。

 

こちらがお庭の入り口です。

この村の名前であるヤドハシュモナは二つの言葉から成り立っています。YAD(ヤド)とHASHMONA(ハシュモナ)です。ヤドは「記念する」という意味で、ハッシュモナは「(数字の)8」という意味だそうです。

フィンランド系ユダヤ人でホロコーストで召された方々を記念するためにこの名前にしたそうです。

 

いつもはツリエル(私たちの間ではツリちゃんと読んでいました)さんというガイドさんが私たちを案内してくださいましたが、今回はその叔父さんであるアリエ先生が私たちを案内してくださいました。アリエさんは70過ぎのおじいさまですが、とってもお元気な方です。

 

ご家族がどのようにイスラエルに来て、そして今のような生活を選ばれたのかをお話してくださいました。

お父様はユダヤ人でフィンランド人でもありました。第二次世界大戦の体験者でもあります。ナチスに捕らえられた時、フィンランド政府はユダヤ人を守ってはくれなかったそうです。そうして、強制収容所に送られて過ごすわけです。その後、解放されましたが、自分を守ってくれなかったフィンランドには戻らず(精神的にも自分を売ったコミュニティーには戻れないですよね…)、イスラエルを目指したそうです。しかしすぐにはイスラエルに入国はできず、ギリシャの難民キャンプで過ごした後、やっとのことでイスラエルに住めたとのことでした。お父様は天に召されるほんの数年前まで厳格なユダヤ教徒だったそうです。

一方、アリエさんはイスラエルでミュージシャンとして活躍していたようです。お母様が信仰を持っておいでで、お母様の祈りとまた生活を通しての訓練をもって、信仰をもつようになりクリスチャンとなったとのことです。当時、イスラエルではメシアニックジュー(ユダヤ人クリスチャン)がすごく少なく大変苦労もあったようです。そんな中、神様からの召しでキブツを作ることを示され、ミュージシャンとしての大きな収入を投げ打ってこの場所を購入したと話しておられました。その時フィンランド政府も第二次世界大戦時にユダヤ人に対して何もしなかったことをお詫びし、村づくりを助けてくれたそうです。奇跡の連続でできた村なのだと、神様の力強い導きを感じられずに入られませんでした。

 

こうして、家族はキブツに住むようになり、ホテル経営をしながら、そしてツアーガイドをしながら、ざっくりですが今に至っているとのことでした。

お父様は在命中は戦争時の話しはほとんどされなかったのですが、お亡くなりになる10年ほど前に、子供3人をつれてポーランドへ行き、心の悲しみをすべて吐き出すことができたそうです。そして、赦すことを選ぶことができ、クリスチャンになったと聞きました。

 

このようにツアーガイドさんから直に、ホロコーストやイスラエルの戦争の歴史を聞くとは思わなかったので、驚きと共に、非常に大きな体験になりました。

(熱心にアリエさんの証しに聞き入る私たち)

 

このバイブルガーデンで作られているものはレプリカですが、ところどころ本物の遺跡もあります。

 

そしてこちらはヨエル書2章13節のみことばを銅像にしたものです。

あなたがたの着物ではなく、あなた方の心をひきさけ。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、憐れみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かで災いを思い直してくださる。

この心を引き裂くという言葉が、ユダヤ人の心に響くのだと話してくださいました。観光業をしていますが、一番の思いは同族民であるユダヤ人の救いなのですね。

 

ガーデンの中は、このようにお花やハーブでいっぱいです。

そしてこの一つ一つの花にユダヤ人ならではの言い伝えがあり、聖書にからめて子供達に教訓を教えると話していました。

キブツ(共同体)で暮らす子供達やクリスチャンの子供達に、鳥や植物という自然の教科書からみことばを教えるのが大好きだと語るアリエ先生の目が輝いていました。

 

幕屋の作りについても、幕屋とユダヤ人の普通の家の作り方と似ていて、神様はちゃんとユダヤの文化を理解してわかるように幕屋を設計しているとか、清めのお風呂では神様の愛の本質と律法主義の違いについて語ってくださりました。

こちらには1世紀のお墓があり、ユダヤの埋葬の文化も語ってくださいました。

ユダヤは争いの歴史で、先祖の墓に入るということは祝福されているという意味だそうです。聖書の表現の中で、「父のもとへ帰る」ということは、墓に一緒に葬られるというこの上ない賞賛の言葉であるということを聞きました。一行にも満たない聖書の言葉に、大きな意味があることをしれて、これからは聖書を読むのがとても楽しくなりそうです。

 

本当に写真も取れないくらいにたくさんの知識を分かち合ってくださって、自分の個人のノートはもうぎっしりなんですが、こちらにはこれくらいにしておきます。

 

イスラエルからもどり、1ヶ月がたってしまいました。

後半の旅もぼちぼち書いて行きますね。

最近の夫婦デート

最近は毎週木曜日の夜ご飯を主人と一緒に外食するようにしています。

主人の仕事帰りをまちながらの初めてのチャタイム。

 

もう何年もこちらのブログを読んでいらっしゃる方は知っていると思いますが、前はビジネスミーティング的に土曜日の朝ごはんを近所のロイホで食べながら、家族のこと、子供達のことなど色々と話していました。(というのは子供達が大きくなると内容もわかってしまうこともあるので)

 

今は、土曜日の朝のビジネスミーティング的なものと、木曜日の夜ご飯デートの2回になりました。でも、できるときとできないときとあります。

 

子供達も大きくなってくると、そんなにつきつめて話すことも少なくなってくるしね。話す私たちのほうもコツを掴めて喋れるようになったかもしれないです。

 

ランドマークタワーにオープンしたばかりのラーメン屋に行って来ました。

夫婦でウィンドーショッピングしたり。

 

 

先日、用事があって久しぶりの銀座へも。

最近、結構夫婦ばかり出かけてて、家族で出かけないのがさみしいなと思うくらいです。

 

夫婦で話す、時間を過ごすことの大切さはホームスクールをしてから教わったことだと思います。

ホームスクールしてたら、こんなに夫婦で過ごすことに力を入れたのだろうかと思う最近です。

 

 

豆知識:最近、イスラエルで教えてもらったこと。ヘブル語の1は単数形ではなく、複数の意味を含むそうで、だから三位一体や夫婦(二人)が一つなんだって。

Science Project 1092

理科の実験でした。結晶を作ってみるというプロジェクトで、ミョウバンと卵の殻を利用してのプロジェクト。

 

卵の薄皮を綺麗に剥くのがなかなか大変なの。「ちょっと湿っている方がいいね」とか、こつも掴むものの、もうちょっとで完全に向けるってところで残念にちぎれたりとか…。

 

そうね、粘着力の強い古いシールを「シール剥がし」を使わずにどれだけ傷つけずに綺麗に剥がせるか?みたいな感覚に似ています。

 

 

そして、我が家に焼きミョウバンがあったのですが、溶けやすいということを考えると粉末がいいねと、粉末のミョウバンを買いました。

 

こちらもアマゾンでどのミョウバンがいいかな〜と思って調べていたら、「消臭」ってキーワードがめちゃめちゃ出て来て、なるほど、匂い消しにミョウバンを使うのかとミョウバンの用途とパワーも合わせてを知りました。

 

フードカラーを水に垂らし、卵に色をつけます。

↗︎ この状態になったらほっときっぱなし〜

 

どんどん化学反応が起きて、みるみるクリスタルのような結晶が出て来ます。

 

わかる?

 

面白いのは、卵の殻には色が付いているのに、結晶は色がつかないの。どうしてなのかな?ちょっと不思議ですね。

 

 

長女、その後

科目登録が完了。

「数学の設問の意味がよくわからない(日本語の言い回しがピンとこないらしい)」とぼやいたり、「数Ⅲまで勉強しとけばよかった」と後悔しながらも、レベルが高い女友達に支えられ(家庭教師のように教えてもらいながら)受験期以上に勉強しています。

AO入試で学部長に顔と名前をばっちり覚えられ、学年代表に選ばれたり、毎晩友達と学校で自主勉したり、本当に満喫です。

 

「ママ、大学の講義ってさ、説明してくれるんだよ。」と自学自習で10年以上やってきた娘は軽くカルチャーショックを受けつつ、ホームスクールが終わって感じるホームスクールの良さとかいろいろ肌で体験しているようです。

 

ちなみに、今日は一限からなのに大寝坊し、最寄り駅まで送って行ってあげてしまった甘々な親です。

 

さよならフラッグ

長女のオフィスを片付けていました。ひっそり置いてあったフラッグ。何百回、何前回と上げてきたこのフラッグ。

 

もう、お役目を全うしました。

 

自分で飾り付けたフラッグ立て…。今となっては懐かしい思い出です。

 

 

さぁ、気を取り直して、長男、次女のための遠足準備、しなきゃっ!

イスラエル旅行記⑥ マサダと死海

3日間、エルサレム周辺で過ごした次の日は、クムラン、マサダ、死海方面へ南下しました。

クムランまでの道のりの途中、ベトシャンの人たちが羊を飼っている様子がバスから見えました。

彼らはパレスティナ地区の人々です。

エルサレムから少し下っただけで、このような砂漠地帯になります。ここはよきサマリヤ人のたとえ話の場所です。見渡す限り何もないような荒れ地です。こんなところで半殺しになったら、日中は暑いし、夜は寒いしで肉体的な辛さもありながら、見通しもよく、おそらく遠くから祭司やパリサイ人が歩いて来るのを遠目で確認できたと思います。きっと助けてくれると思った同志に裏切られる、遠くから見えるからこそ期待して裏切られる気持ち、実際にこの地に立つとそのような背景を読み取ることができます。

まだ朝の早い時間ですので、涼しいですが、この日はとても暑かった一日でした。

 

その後、さらに南下していきます。風景もこのように砂漠、赤茶けた色が一面の景色です。

 

バスの中でツアーガイドさんが話してくれたのですが、おそらくダビデが羊を飼っていただろう周辺の荒野の山は遠くから見ると縞模様のように見えます。

その縞々ひとつひとつが細い道になり、円状(らせん状)に山を取り巻いています。羊は山の上に向かって坂を上ることができないそうで(山羊はできますが…)、羊は草を求めながらぐるぐるとゆっくり道に沿ってらせん状に山を登るそうです。そしてこれがダビデが詩編23篇で歌っている「義の道に導く」ということなんだよと教えてくれました。

らせん状だからさっきの場所からほんのちょっとしか上ってないのに時間がかかるんです。でもそれが神様の方法なんだと思ったときに、神様の忍耐と愛と感じました。山羊のように登ったら羊は死んでしまうので、私も神様のタイミングで生きればいいのだとすごく感じました。

 

さぁ、だんだん荒野って感じがでてきました。ラクダもいます。

 

そしてクムランです。

↑ こちらはレプリカです。どのように死海文書の発見されたか展示されています。20世紀の最大の遺跡と呼ばれる死海文書。このようにツボの中に入っていたそうです。

 

当時、「光の子」として共同体生活をし、腐敗したエルサレムの指導者たちを「闇の子」と区別していたクムランの共同体の人々。独自のユニークな文化を持ち、律法を全うしたといわれています。本当かわかりませんが、バプテスマのヨハネももしかしたら関わっていたかもしれないとのことです。

↑ このような崖に洞穴があり、そこにツボに入れられた旧約聖書の巻物が隠されていました。

もと歴史学科の主人は大興奮の一日でした。

山がありながらも海抜が低い南の地域はエルサレムから流れる雨水を貯蓄する技術をもっていました。このような砂漠の山の上でも、生活ができたのですね。

一日に清めのお風呂に何回か入るクムランの人々のお風呂です。

伝統を固く守っていたのですね。

 

そして、その後、さらに南下してマサダへ。

ロープウェイにのって一気に頂上まで行きます。要塞です。

こちらはヘロデ大王が別荘のため、またエジプトやサウジ方面からの攻撃に備えるために作られた要塞です。

イスラエルでは、遺跡だった場所とその後新たに作られたところの区別がこのように黒い線で示されています。

こちらもレプリカですが、このように崖を利用したつくりになっており、たくさんの食料貯蔵庫があったそうです。ですから、AD70年のユダヤ人の反抗の時、ここで最後の最後まで抵抗したそうです。

当時、ローマ軍隊が基地を作った場所が遺跡として残されています。取り囲むようにローマ兵がいたことが上からみるとわかります。

 

結局、残されたユダヤ人は他殺形式の自殺行為をすることにより、ローマ兵に手を下される前に自分たちで命を絶ってしまいます。わずか、洞窟で2人の女性と子供たちだけが生き残り、どのようにユダヤ人が最後を遂げたのかを伝承したもようです。

 

 

その後、ロープウェイで降り、エンゲディに向かいました。

ちょっとしたオアシスになっています。シカのような生き物が木陰にいるのがわかるかな?

ここは、ダビデがサウル王から逃げた場所で、サウル王と洞穴でニアミスしたときに手をかけずに衣のすそを切ったというその場所です。

なぜ、洞穴に入ったのか、トイレだったのか?という説もありますが、ヘブル語ではトイレとは書いてなく、足を休めたという意味だそうで、足を洗ったりする中にトイレがあったのか、それとも昼寝だったのかもしれないそうです。

この日は気温が30度に迫る暑さで、子供たちはみな、滝の水で水浴びをして楽しんでいました。

 

ダビデの神様を恐れる思い、またダビデはエルサレムで王様になるまでに26年待たなければなりませんでした。その間、ダビデの品性が練られたこと、これは無意味ではないということをみなで語り合いました。この苦しい中でダビデは詩編を書き、神様への想いと信仰を深めたことを考えると、私の辛抱のなさを感じます。もし、ゴリアテを倒した後すぐにダビデが王様になっていたとして、ダビデが同じ成熟さを持っていたかということは疑問ですよね。

 

そして死海へ。

 

ちょっと浮いてきました。この死海で泥を体に塗って、それでみんなではしゃいだ時間は本当に童心に帰った楽しいひと時でした。

 

死海に入ると10年若返るというので、30代に戻ったかしら?

 

続く。

 

イスラエル旅行記⑤ エルサレム近郊

エルサレム3日目。どこにいてもミモザがとってもきれいなイスラエルでした。

 

この日の午前は二つの博物館をめぐりました。

1つは

こちら。第二神殿の模型がある博物館です。ここには死海文書についても勉強することができました。

 

第二神殿(バビロン捕囚から帰ってきてからの神殿)時代のエルサレムの城壁とその町が歴史的資料を参考に作られています。

神殿の入り口も出口と入り口の様子やユダヤ人だけしか入れない領域の区分されているところにいたってもよく作られていました。

 

室内の博物館に入ると、死海文書についての説明書きや建国70周年を祝っての特別展示もあり、初公開の創世記の書写をみることができました。

 

そして、少し移動したのちの、ホロコーストミュージーアム

こちらはユダヤ人目線でドイツがどれだけのことをしようとしたのかを展示してあります。

もちろん中は写真は不可ですが、なんといいますか、酷いという言葉も出ないほどの悲しみに包まれた時でした。

美術館を出た後の私たち。あまりの衝撃にみんな言葉を話したいとも思えない状況。

 

ユダヤ人というだけで、突然、おとなりさんが、お友達が敵となってしまう苦しみ。そして、ユダヤ人というだけで虫けら以下の扱いを受け、そして、解放されても帰る家もない。自分を秘密警察に密告した人とどうして一緒にまた生活できるでしょうか?

 

このようにユダヤ人は二重にも、三重にも自分たちのアイデンティティーを奪われ、自由を奪われてしまったのだということに言葉も出ない衝撃が走りました。

 

私はあまりにユダヤの国について知らなさすぎると思いました。

 

さて、あまりに暗くなってしまったので、ちょっと明るい話題。

ここにきてですが、イスラエルのランチ、すごく美味しかったです。

 

私はお腹の調子のこともあったので、なるべく食べ過ぎないように、野菜中心の生活をしていました。こちらはサラダ。

 

朝も夜もビュッフェですが、豆料理も多かったです。

 

午後はエラの谷に行きました。ダビデとゴリアテが戦った場所です。

川はありませんでしたが、みんなで小石を拾ってお土産にしました。

これは私がとった男性の写真の一部ですが、私たちの教会のダビデがこんなにもいると思うと、すごく感謝の気持ちが湧いてきたそんな一枚です。

 

そして、夕方にむけて、エマオの途上の道へ、

まぁ普通の道といったらそうなのですが、イスラエルの方はキャンプやバーベキューをしているようなとっても自然豊かな場所でした。

エルサレムまで11キロ。1日かけて歩いてきた弟子の二人は、イエス様と気づきません。ですが、パンを割いた時、おそらく手に釘の穴を見たでしょうか?はっとイエス様だと気づくのです。

そして、1日歩いた距離を今度は走って引き返します。彼らの心は喜びで高揚していたでしょう。早く、エルサレムの弟子に伝えたいと思ったでしょう。

そんなワクワク感、スリリング感が感じられる瞬間でした。私も、伝道する気持ちの時にことのワクワク感をずっと持っていたいと思いました。

 

 

というわけで、3日間のエルサレム周辺の旅は終わります。

 

次の日は砂漠方面です。また書きまーす

 

誕生日でした㊗

子供たちがデコレーションしてくれたケーキ。私が大好きなシュガーラッシュをイメージしてくれて作ってくれたそう。しかも、私に気づかれないように、私の友達のうちで! ←その裏話を聞いたら感動した😢でてきた。

 

ですので、

おいしくいただきました!

 

 

この日はお友達を招いてのBBQだったのですが、そこでいきなりのサプライズパーティーとなりました。

 

忘れられない誕生日になりそうです。

 

 

今年の目標は

1 富士山に登ってみたい

2 より謙遜に、自我に死ぬことを選んでゆく

3 さりげなく仕える

 

です。

 

最近はイスラエルが恋しくて、どうやったら来年もイスラエルに行けるのか考え中。